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【ウィーン大学留学記】 留学を考えている方必読

こんにちは。
大学時代にウィーンに留学していたことはちょいちょい言っていましたが、詳しくは説明出来ていなかったので、この記事で詳しく当時のことについて語ってみました。
留学をお考えの方はぜひ読んでってください。
 
★留学の概要
渡航先: オーストリアのウィーン
・時期: 2015/07~2016/07の1年間 (大学3年の夏から4年の夏にかけて)
・留学目的: ウィーン大学への交換留学 (日本ではドイツ語学科でした。)
・住居: 最初は寮でしたが、引っ越してオーストリア人とのルームシェア(WG)
 

    1. 町の様子

国の首都だけに、ウィーンは交通網が発達しているので、どこに住んでも移動は楽だと思います。さらに週末は地下鉄が24時間運行しております。また大学や飲食店、銀行、駅など町のいたるところで無料のwifiが使えて、住むのにとても便利でした。その一方で、リンク内の1区(Innere Stadt)は歴史的な建造物も多く、散歩するだけでも楽しく、町全体には公園や森、ドナウインゼルなど、自然に触れられる場所もたくさんあります。また、国立オペラ座やフォルクスオーパー、学友協会、様々な美術館や博物館など、素晴らしい文化に触れられる施設もたくさんあります。学生証があれば学割で安く鑑賞できるので、夜や週末などは、たびたび足を運んでいました。ウィーンは都会の便利さ、自然の豊かさ、伝統的な文化が融合されたとても恵まれた住みやすい町です。

 

     2. ウィーン大学での授業

ウィーン大学では交換留学生は自分の所属学科に関係なく様々な分野の授業に参加できるので、私自身も自分が所属している歴史学科の授業だけではなく、ドイツ語文献学科や日本学科、翻訳学科などの授業に通い、自分の興味を広げることができました。

 また、授業のほかに、どちらの学期も大学付属の語学コースに通い、ドイツ語力の強化に努めました。語学コースは、週に5日あり、1日150分というハードなものでした。私が通っていたコースは、ウィーン大学に正規の学生として入学するために必要な語学の資格(B2)を取得するのが目的であったため、授業は難しかったです。印象的だったのはトルコ人が多かった点です。というのも、トルコ人オーストリアで働くためにウィーン大学に入学するのではなく、ドイツ語圏の大学を卒業したあとに国に戻ると良い仕事が得やすいため、ウィーン大学に入学する人が多いそうです。ほかのクラスメイトは、アルバニアウクライナポーランドなど比較的貧しいヨーロッパから来る学生が多かったです。期末試験は、読む、書く、聞く、話すの全ての技能が問われました。中でも難しかったモジュールは「話す」で、試験内容はドイツ語圏の新聞から記事を5つ選びその記事の要約および自分の意見を述べるというものでした。私は、「話す」のモジュールを一回落としてしまいましたが、語学パートナーと猛特訓の末、追試で合格できました。

    ウィーン大学では、シラバスもオンライン上で閲覧でき、履修登録もオンライン上でできました。また、ほとんどの授業がMoodleというシステムを取り入れているので、授業によってはMoodleでパワーポイントなどの資料が主に授業後に閲覧でき、そのおかげで授業の予習復習はしやすかったです。結果的に単位取得まで至った科目は、翻訳学科の経済翻訳と文芸翻訳の演習の2つです。

   経済翻訳の授業では、オーストリア企業のファクトシートや社内外文書を日本語に訳す作業をしました。期末試験は、オーストリア企業のファクトシートを訳し、口頭で発表するというものでした。この授業は課題も多く、難しいビジネス文書をたくさん読まなければならなかったので、ドイツ語のリーディングスキルは鍛えられました。さらに、正しい日本語の表現も身に付きました。

 文芸翻訳の授業では、日本語の漫画、エッセイ、小説などの起点テキストをドイツ語に訳すときに、どのような注意を払わなければならないのかという起点テキストの研究をし、授業のメインプロジェクトとして長崎原爆の証言ビデオをドイツ語に訳しました。期末試験では授業では扱っていない原爆証言の一部を抜粋して、ドイツ語に訳すという課題が課せられました。この授業を通じて、ドイツ語の表現において、微妙なニュアンスの違いを使い分けたりする力が身についたと思います。

  そのほかに翻訳学科が主催した朗読会にも参加しました。感情を込めてドイツ語の文章を大勢の前で朗読するのは、とても難しかったですが、語学パートナーと特訓したり、みんなで集まって練習した時間はとても楽しかったです。

 

   3. 生活や寮について

  私は最初の半年は寮に住んでいましたが、寮費が高く外国人しかいなかったため、ネイティブスピーカーとドイツ語を話す機会があまりなかったので、最後の半年は月に250ユーロというウィーンにしては格安で2人のドイツ語話者とルームシェアをしていました。良いWG(Wohngemeinschaft=ドイツ語で共同生活)を探すのはオーストリア人でも難しいので、寮に住むのが基本だと思います。寮は比較的たくさんありますが、大学に近い寮や高くない寮を探す場合は早く動いたほうがいいと思います。ちなみに寮の相場は月に350~450€で年々上昇傾向にあるようです。

   同居人とは日常的に会話をしたり、一緒にご飯を作ったり、散歩をしたりしました。また同居人はPolytechnische Schule(15歳までの技術専門学校)の先生だったので、マウトハウゼン強制収容所やZotter Schokoladeの工場に行く課外授業について行ったりと、いい経験ができました。Polyttechnische Schuleの生徒は大学には行かず、16歳から働く人がほとんどで、生徒のほとんどはアフガニスタンやトルコといった移民の子供が多く、30名ほどのクラスでオーストリア人はわずか3人しかいないというのが衝撃的でした。逆に大学に進学するGymnasium(日本の中学~高校に相当)には、貧しい移民の子供はほとんどいないそうです。ウィーンにはたくさんの移民がいますが、このような現状から移民政策がうまく機能していないのではないかと思いました。

 

       4. 国際交流

  ウィーン大学には大きな日本学科があり、そこでは600人近い学生が学んでいるので、タンデムパートナーを探すのには苦労しませんでした。そのほかにも趣味で日本語を学んでいる人はたくさんいました。タンデムパートナーとはお互いに言語を学びあう語学交換をするパートナーです。6人くらいのパートナーを作り、週に約1回のペースでカフェなどに行き、おしゃべりをしました。

    私が留学していた期間にちょうどオーストリアの大統領選挙があったので、両国の政治の仕組みや選挙の仕組みなどについて教えあったりしました。その中で印象的だった点は、オーストリアの学生の選挙や政治への関心度が日本の学生と比べると格段に高いことです。新聞を読んだり、選挙に行くことは大学生の彼らにとって当たり前です。私も見習いたいと感じました。また、タンデムパートナーの中に移民二世が多かったこともオーストリアならではだと思いました。彼らの両親はトルコ人だったり、中国人だったりしますが、彼らの母語はドイツ語です。日本人の私からすると少し不思議な感じがしました。

 

 以上です。