2019年を振り返る
ご無沙汰しております。
早いもので、2019年もあと10日で終わってしまいます。
社会人になってからというもの、本当に時間の流れが速くなったなと実感しております。
ということで、2019年を軽く振り返り、反省しつつ、2020年の目標を考えていきたいと思います。
2019年を一言で表すとするなら、「挫折と挑戦」ですかね。
この一年間は自分の人生の中で一番しんどかったといっても過言ではないです。
現状から逃れるために、様々なことに挑戦しては失敗して、挑戦しては失敗して、
その繰り返しです。
1月・・・カルチャースクールにてピラティス、ヨガに通う。当時の彼の心が離れていくのを感じる。
2月・・・ヨガ、ピラティスに加え、クロスフィットや自宅での筋トレに精を出す。当時の彼と喧嘩して、そのままだんだんと仲が悪化していく。
3月・・・引き続きトレーニングに精を出す。当時の彼とはほぼ合わなくなる。精神的に一番つらく、毎日のように泣いていた。
4月・・・彼との別れを決断し、髪をバッサリカット。京都の縁切り神社と、鈴虫寺に行く。転職を強く意識し始める。
5月・・・エージェントと面談したり、実際に面接をうける。出雲大社に行く。エアリアルヨガと出会う。
6月・・・元カレがうつ病になって、会社を休職する。引き続きエアリアルヨガに通う。
7月・・・元カレ復帰。とくに記憶なし。手に職を身に着けたく、簿記の勉強を始める。
8月・・・引き続き簿記の勉強とエアリアルヨガに精を出す。
9月・・・8月とほぼ同じ。在外公館派遣試験にチャレンジすることを急遽思い立つ。
10月・・・在外公館派遣試験の勉強に精を出す。
11月・・・まさかの一次試験合格。二次試験に向け、タンデムをスタート。元カレの東京転勤が決まる。
12月・・・派遣員二次試験を受けるも、玉砕。新しい可能性を模索中。ネトフリアマプラ三昧。
こんな感じです。
正直、楽しかった思い出はほぼないです。
悲しんでるか、体鍛えてるか、勉強するか、仕事か、ネトフリか。。
こんなに自分という人間に向き合ったこともないし、こんなにたくさんのことに挑戦しようと思ったこともない。
2019年、最後くらいは笑っていたいと思ったけど、在外公館派遣も落ちしてしまった。
何年後かに、この辛い一年があったから今が幸せって思えたらいいな。
本当にそれだけです。
バチェラー3をみて考えたこと ~人間は中身が大事~
こんばんは。
アマゾンプライムビデオで配信されていた「バチェラー」シーズン3を全て見終わりました。昔っから「テラスハウス」や「あいのり」などの恋愛リアリティーショーには興味がなく、バチェラーもシーズン3で初めて見始めましたが、ドハマりしておりました。
バチェラーとは、簡単に言うと、全てを兼ね揃えている激ハイスペックの男性を女性20人で奪い合うみたいな感じです。女性たちは芸能上がりやインスタグラマーなどきれいな人が多い印象です。そもそも容姿に自信がある人しか応募しないですよねww
私の推しメンは清楚感漂う岩間恵さんと濱崎麻莉亜さんでしたが、回を増すごとに、水田あゆみさんの器の大きさや、野原遥さんの堂々とした立振る舞いに惹かれていきました。
私は、今までは女の魅力=若さや美しさだと思い、中身を磨くことを疎かにしておりました。そもそも、外見を磨くことは簡単です。ダイエット、整形、メイク研究、美容皮膚科、ヨガ、サプリ、筋トレなどなど、美しくなる方法はググればすぐに出てきます。
だけど、中身を磨くにはどうしたらいいのでしょうか?? それは、「様々なことを経験する」ことに限ると私は考えます。水田さんは北新地で10年間プロのホステスとして働いた他、婚約解消など辛い出来事も乗り越えていたり、野原さんはグアムでの事件に巻き込まれるなど、苦しいことや、辛いことを経験されているなと感じました。
私のように、家に閉じこもってツイッターのタイムラインを追うだけではダメですね(猛省)
「若い時の苦労は買ってでもしろ」という諺があるように、若い時は怖がらずに様々な経験をして、素敵な女性になりたいものです。
もちろん、同級生とかみてると「この子、同い年なのにだいぶ大人やな~」って子もたくさんいるので、若い=未熟は全員には当てはまらないですけどね。
そう考えると、苦痛な会社勤めも、素敵な女性になるための肥やしだと思えます。社会に揉まれる経験だったり、一人暮らしの生活の中で考えることは、今後の人生の糧になってくれるでしょう。
野原さんのように、自分の考えをハキハキ伝えられるようになりたいし、水田さんのように、広い心を持ちたいです。
とりあえず、大人の女性になるために、感情の起伏が激しいのは論外なので、ホルモンバランスの乱れを整えるために、命の母ホワイトをポチりました笑
以上です。
【ウィーン大学留学記】 留学を考えている方必読
1. 町の様子
国の首都だけに、ウィーンは交通網が発達しているので、どこに住んでも移動は楽だと思います。さらに週末は地下鉄が24時間運行しております。また大学や飲食店、銀行、駅など町のいたるところで無料のwifiが使えて、住むのにとても便利でした。その一方で、リンク内の1区(Innere Stadt)は歴史的な建造物も多く、散歩するだけでも楽しく、町全体には公園や森、ドナウインゼルなど、自然に触れられる場所もたくさんあります。また、国立オペラ座やフォルクスオーパー、学友協会、様々な美術館や博物館など、素晴らしい文化に触れられる施設もたくさんあります。学生証があれば学割で安く鑑賞できるので、夜や週末などは、たびたび足を運んでいました。ウィーンは都会の便利さ、自然の豊かさ、伝統的な文化が融合されたとても恵まれた住みやすい町です。
2. ウィーン大学での授業
ウィーン大学では交換留学生は自分の所属学科に関係なく様々な分野の授業に参加できるので、私自身も自分が所属している歴史学科の授業だけではなく、ドイツ語文献学科や日本学科、翻訳学科などの授業に通い、自分の興味を広げることができました。
また、授業のほかに、どちらの学期も大学付属の語学コースに通い、ドイツ語力の強化に努めました。語学コースは、週に5日あり、1日150分というハードなものでした。私が通っていたコースは、ウィーン大学に正規の学生として入学するために必要な語学の資格(B2)を取得するのが目的であったため、授業は難しかったです。印象的だったのはトルコ人が多かった点です。というのも、トルコ人はオーストリアで働くためにウィーン大学に入学するのではなく、ドイツ語圏の大学を卒業したあとに国に戻ると良い仕事が得やすいため、ウィーン大学に入学する人が多いそうです。ほかのクラスメイトは、アルバニアやウクライナ、ポーランドなど比較的貧しいヨーロッパから来る学生が多かったです。期末試験は、読む、書く、聞く、話すの全ての技能が問われました。中でも難しかったモジュールは「話す」で、試験内容はドイツ語圏の新聞から記事を5つ選びその記事の要約および自分の意見を述べるというものでした。私は、「話す」のモジュールを一回落としてしまいましたが、語学パートナーと猛特訓の末、追試で合格できました。
ウィーン大学では、シラバスもオンライン上で閲覧でき、履修登録もオンライン上でできました。また、ほとんどの授業がMoodleというシステムを取り入れているので、授業によってはMoodleでパワーポイントなどの資料が主に授業後に閲覧でき、そのおかげで授業の予習復習はしやすかったです。結果的に単位取得まで至った科目は、翻訳学科の経済翻訳と文芸翻訳の演習の2つです。
経済翻訳の授業では、オーストリア企業のファクトシートや社内外文書を日本語に訳す作業をしました。期末試験は、オーストリア企業のファクトシートを訳し、口頭で発表するというものでした。この授業は課題も多く、難しいビジネス文書をたくさん読まなければならなかったので、ドイツ語のリーディングスキルは鍛えられました。さらに、正しい日本語の表現も身に付きました。
文芸翻訳の授業では、日本語の漫画、エッセイ、小説などの起点テキストをドイツ語に訳すときに、どのような注意を払わなければならないのかという起点テキストの研究をし、授業のメインプロジェクトとして長崎原爆の証言ビデオをドイツ語に訳しました。期末試験では授業では扱っていない原爆証言の一部を抜粋して、ドイツ語に訳すという課題が課せられました。この授業を通じて、ドイツ語の表現において、微妙なニュアンスの違いを使い分けたりする力が身についたと思います。
そのほかに翻訳学科が主催した朗読会にも参加しました。感情を込めてドイツ語の文章を大勢の前で朗読するのは、とても難しかったですが、語学パートナーと特訓したり、みんなで集まって練習した時間はとても楽しかったです。
3. 生活や寮について
私は最初の半年は寮に住んでいましたが、寮費が高く、外国人しかいなかったため、ネイティブスピーカーとドイツ語を話す機会があまりなかったので、最後の半年は月に250ユーロというウィーンにしては格安で2人のドイツ語話者とルームシェアをしていました。良いWG(Wohngemeinschaft=ドイツ語で共同生活)を探すのはオーストリア人でも難しいので、寮に住むのが基本だと思います。寮は比較的たくさんありますが、大学に近い寮や高くない寮を探す場合は早く動いたほうがいいと思います。ちなみに寮の相場は月に350~450€で年々上昇傾向にあるようです。
同居人とは日常的に会話をしたり、一緒にご飯を作ったり、散歩をしたりしました。また同居人はPolytechnische Schule(15歳までの技術専門学校)の先生だったので、マウトハウゼン強制収容所やZotter Schokoladeの工場に行く課外授業について行ったりと、いい経験ができました。Polyttechnische Schuleの生徒は大学には行かず、16歳から働く人がほとんどで、生徒のほとんどはアフガニスタンやトルコといった移民の子供が多く、30名ほどのクラスでオーストリア人はわずか3人しかいないというのが衝撃的でした。逆に大学に進学するGymnasium(日本の中学~高校に相当)には、貧しい移民の子供はほとんどいないそうです。ウィーンにはたくさんの移民がいますが、このような現状から移民政策がうまく機能していないのではないかと思いました。
4. 国際交流
ウィーン大学には大きな日本学科があり、そこでは600人近い学生が学んでいるので、タンデムパートナーを探すのには苦労しませんでした。そのほかにも趣味で日本語を学んでいる人はたくさんいました。タンデムパートナーとはお互いに言語を学びあう語学交換をするパートナーです。6人くらいのパートナーを作り、週に約1回のペースでカフェなどに行き、おしゃべりをしました。
私が留学していた期間にちょうどオーストリアの大統領選挙があったので、両国の政治の仕組みや選挙の仕組みなどについて教えあったりしました。その中で印象的だった点は、オーストリアの学生の選挙や政治への関心度が日本の学生と比べると格段に高いことです。新聞を読んだり、選挙に行くことは大学生の彼らにとって当たり前です。私も見習いたいと感じました。また、タンデムパートナーの中に移民二世が多かったこともオーストリアならではだと思いました。彼らの両親はトルコ人だったり、中国人だったりしますが、彼らの母語はドイツ語です。日本人の私からすると少し不思議な感じがしました。
以上です。
白米はうまい
昨年、私は大学を卒業し、社会人になりました。
入社後の集合研修が終わると同時に、未開の地で社会人生活&初の一人暮らしをスタートさせました。
えっ?友達も家族も居ない場所でいきなり社会人とかキツくね??
大正解。現状私は、家族、友達、恋人なし、基本的に会社と家の往復といったとても孤独な生活を送っています。(ここだけの話、入社当初はラブラブの同期の彼氏がいましたが、一年もせずに別れました笑)
「孤独」は、想像以上に辛いものでした。そんな孤独と日々向き合う生活の中で、気付けたことが大きく3つあります。
恋人の大切さ
冒頭で申し上げた通り、新天地に来てからは同期入社のラブラブな彼氏がいました。
仕事が終わったら家に来てくれるから、仕事が辛くても頑張れたし、土日も必ずと言っていいほど一緒に過ごしていたので、平日が辛くても土日を思えば乗りきれました。
しかし、哀しいかな人間って慣れてしまう生き物です。愛してくれる彼に甘えて日々傲慢になっていってしまう私。。。彼氏ならしてくれて当たり前だよね?そういう態度を見透かされてか、冷たくなっていく彼、、、こうして恋は終わっていきました。
今思えば、ごはんに行ったら多めに出してくれたり、ご馳走してくれる事、レストランでは必ずソファ席に座らせてくれたこと、クリスマスや記念日にプレゼントをくれること、車でどこか遠くまで連れて行ってくれること、、このどれもが特別なのです。
にも拘わらず、当時の私は彼がしてくれることを、当たり前と思うには飽きたらず、「プレゼント安くね?怒」と不機嫌になったり、さぞ傲慢だったことでしょう。
「恋人なら○○してくれて当たり前」、「恋人=一方的に自分の欲求を満たしてくれる人」なんて野暮な考えは捨てて、「一人の人」としてその行動一つ一つに感謝しましょう。
家族の大切さ
大学時代、「一人暮らしをしたら親のありがたみが分かるよ。」と、口を揃えて一人暮らし組の子達は言っていました。「いうて、テクノロジー発達してるから家事とか楽勝でしょwwww」と当時の私には一ミリも響きませんでした。数年後、まさか自分が「一人暮らしをして親のありがたみが分かる側の人間」になるとは夢にも思いませんでした。
生まれてから大学を卒業するまでの23年間を実家で過ごしていた私にとって、一人暮らしの生活は憧れのまた憧れでした。その為、社会人デビューと同時に夢の一人暮らしを始められたことは、嬉しさしかありませんでした。
最初の頃こそ、一人で自由気ままに暮らせる喜びを味わっていましたが、次第に、家に帰ったら誰も居ないさみしさを感じるようになりました。
家に帰ってしまったら、孤独に向き合うほかありません。ご飯だって作らなきゃいけないし、その前にスーパーで食材を揃える必要もあるし、お風呂も沸かさないといけない。。「あれ?テクノロジー追いついてなくね?」ここで私は気付きました。家事は超絶だるいということ。そして、一人は超さみしいということ。
家に帰ったら、栄養バランスの整った食事が出てきて、お風呂が焚けてて、洗い立てのシーツが敷いてあるベットで眠れることの幸せったらこの上ない。
生まれてからこんな恵まれた生活をしていた私にとって、これらのことは当たり前でした。そして最近になってようやく、当たり前ではないということに気付けたのです。そして、こんなことをしてくれる人は間違いなく親しかいません。喧嘩して、暴言を吐いても欠かさずにご飯を作ってくれたこと、今ならそれがものすごく特別なことだとはっきり分かります。
傲慢な態度を取り過ぎて恋人にさめられたという経験がありますが、その何億倍、家族に対して傲慢な態度をとってきたことでしょう。それにも拘わらず、常に全力の愛を注いでくれたことに関しては、感謝しかありません。(まさか自分がこんないい子ちゃん発言する日が来るとは夢にも思いませんでした。。)
無償の愛を注いでくれるのは親しかいません。そして、その無償の愛は言わずもがな特別です。感謝の気持ちを忘れないようにしましょう。
白米のうまさ
一時期、ダイエットを兼ねてバリバリ筋トレにはまっていたことのある私。朝ごはん代わりにプロテインを流し込み、会社でも間食はしない。(たとえ頂き物のお菓子でさえ食べません。)帰宅したら、低糖質高タンパクな少量の食事(鶏むね肉や、ブロッコリーをゆでたものなど基本的においしくない)をササッと食べて、ひたすら筋トレ。トレーニング後には、かならずプロテインを飲んで、一日を〆る。という生活を2か月ほどしていました。
筋トレを2か月も続けられたことは自分の中でかなりすごいことです。この生活を続けられたことの要因に「週に1度のチートデー」を設けたことが大きいです。「チートデー」の日は、脂質糖質が多く太ってしまいそうな揚げ物やスイーツ、白米などの炭水化物を食べるのですが、これがまあおいしい。毎日好きなものを食べるとそのおいしさが当たり前になりますが、週に一度だと特別なものになります。
白米という、比較的毎日食べるものだからこそ、食事制限をして久々に食べる白米が特別になり、白米の本当のおいしさが分かるのです。
食事制限をしたことにより、食べたいものを好きな時に食べられるということの尊さが身に染みて実感できました。
以上です。
目の前のことを当たり前と思わず、感謝の気持ちを忘れずに。。
日本と欧州の違い5選~一年間の留学を通して思ったこと~
夏休み明けにゴリゴリの日本企業で働く毎日に嫌気が差してきた今日この頃、
一年間オーストリア(モーツァルトの方)のウィーン(音楽の都)に留学していた日々が懐かしくなりました。
留学中や、大学自体には疑問に思わなかったことでも、働き始めてから「ヨーロッパでは~」と思うことも多くなったので、(完全にかぶれです。)このタイミングですが留学して、印象的だったこと5つについて語ります。
※この記事内でヨーロッパ人のことを「彼ら」と呼びます。
※あくまで私個人の感想です。
①友達(Freund)と知り合い(Bekannt)の区別がはっきりしてる。
私もそうなのですが、たいして話したことがない人でも、「友達」って言っちゃいません?だからと言って、ゼミ、サークル、高校など、一回でも同じ組織に属した人を「知り合い」って呼ぶのは冷たく聞こえますよね。
彼らは、友達と知り合いの線引きが結構はっきりしてます。仲のいい「友達」を大切にしているようで、私はいいなって思いました。
②欧州では店員の立場が客よりも上?笑
これは「お客様は神様」の日本社会とはまるで正反対です。お店に入ったら店員に「Servus!」等の挨拶は必須。店員の挨拶を無視することもあり得ません。お店の人を「店員」として接するのではなく、あくまで一人の「人」として接しているのが素敵です。だからこそチップ文化なのでしょうかね。
ちなみにスーパーなどでレジでは店員さんは座っています。(逆に日本なんで立ってんの?って感じですけどね。) 欧州初期の頃、びっくりしたのが閉店時間が間近に迫っているアイス屋さんで、「まだいける?」と聞いたところ「うん。でも急いで~」と言われたこと。いい意味でこの衝撃は忘れられません笑
③物乞い
日本ではホームレスちょいちょい見かけても、物乞いは法律で禁止されているので見たことすらありません。それがヨーロッパにいってあら驚き、物乞いの数。。地下鉄、道端、店先、教会など本当にあらゆるところにいます。(なかには頭を地面につける土下座スタイルの物乞いも、、) キリスト教文化圏ならではなのでしょうか?
とにかく最初のうちは怖くて、物乞いがいたら歩く速度を速めたり、前を通らないようにしてましたが、徐々に慣れました。とはいってもやはり、日本に帰ってきて町に物乞いがいないことの安心感は素晴らしいです。
④冷房ない!
日本では考えられませんが、欧州には冷房がついている施設は少数派です。住居も電車内もレストランも大学も冷房ない!夏はさすがに暑いですが、カラッとしているので意外といけます。日差しは結構強いので日向はめちゃめちゃ暑いですが、日陰に入ればこっちのもんで、涼しいです。(日向と日陰の寒暖差やばい。) ちょっと歩いて涼みたいときは教会に避難します。(すみません。)
冷房が根付いてないからか、冷房の人口的な冷たさを嫌う人も多い印象です。冷房が無いなんて日本では考えられませんよね。
⑤夏LOVE!
彼らは自然が大好きです。夏の市民公園は芝生で寝転ぶウィーン子で溢れてるし、レストランで店内の席とテラス席があったら100パーセントの勢いでテラス席選ぶし、あえて日差しガンガンの日向にあるベンチに座る。いやーでも夏の欧州の気候は本当に気持ちいです。夏を体いっぱい満喫したい気持ちになるんです。
ちなみに私はこの季節、日傘が手放せません笑
以上です。
おすすめタピオカ情報【大阪・長堀橋】FRUITS &
店名にフルーツが入っているくらいフルーツを贅沢に使ったタピオカ屋さん
最近私が激ハマりしている大阪・長堀橋にあるタピオカ屋さんを紹介します。
まずは基本情報から!
店名: FRUITS &(フルーツアンド)
最寄り駅: 長堀橋、心斎橋駅
ここのところタピオカの飲みすぎで定番のミルクティーや黒糖味に飽きてきてしまい、ここのお店で何の気なしにフルーツ系のタピオカを飲んでみたところこれが超美味。もちろん、オーナーは台湾出身の方なので、ミルクティー系も本格的でめちゃめちゃおいしいです。
しかも、タピオカ特有の行列が一切ない。こちら、2019年の2月にオープンしたばかりだからか、ゴンチャなどの大手チェーンに比べ、知名度が低く、いつもめちゃめちゃ空いています。平日の18:00頃に訪れたところ、待ち時間0分。
こんなにおいしいタピオカが待たずに飲めるなんて最高すぎるので、皆さんにシェアします。
まずは外観から
とっても清潔感があり、おしゃれな外観です。
メニューどーん。
店内には5席ほど座るスペースも用意されております。
(店外にも2テーブルほどの用意がありました。)
そして、大本命マンゴーラテをオーダー。
こちらの商品にはタピオカが入っておりませんので、別途追加して合計¥770でした。
説明によると、
濃厚な風味香るタイ産の完熟マンゴーをたっぷり使用し、台湾直輸入のナタデココとアクセントに、美味しい阿蘇牛乳と仕上げました。
人工甘味料、フレーバーシロップなどは一切使用しておりません。
とのこと。
めちゃめちゃ材料にこだわっていることが伝わります。
そして、オーダーをしてから材料をミキサーにかけてくれるので、多少時間はかかりますが、めちゃめちゃフレッシュでおいしいです。
タピオカももちもちしていて、言うことはありません。
もう少しお安かったら毎日通います。
ぜひ、普通のタピオカに飽きた方は一度行ってみてはいかがでしょうか(^^)
いい恋がしたいなら?そうだ、グランドツアーに出かけよう!
脳科学者・茂木健一郎さんの『脳は0.1秒で恋をする』を読みました。
恋愛ハウツー本は、巷でも溢れかえっていますが、どうにも胡散臭く、とても読む気にはなりませんが、こちらは脳科学からのアプローチでもって恋愛を科学的に紐解いていく信頼がおける1冊です。
もちろん恋愛の全てを脳科学的で解剖することはできませんし、明確な法則や正解はないですが、科学的な視点が加わることで、恋愛に悩んでいる人は一度手に取ってみて損はないと思います。
恋愛に決まった答えは無いですが、1つ言えることは「恋愛力」=「人間力」だということ。
幸せな恋愛がしたいなら、早い話が人間力を高めればいいとのこと。
人間力を磨くには、様々な経験をすることが欠かせません。(以下本文より抜粋)
長い人生において、どうしても「疾風怒濤」の時期というのは必要です。「偶有性」を恐れることなく、人生を冒険していく中で、喜びも悲しみも、怒りや孤独さえも身をもって体験する。~(略)そういう嵐のような体験をした先に、初めて現れる人生の深みや艶というものがあります。
これを読んで失恋したことや、恋愛で傷ついたことは無駄ではなかったんだなと、少し救われたような気持になりました。
私はまだまだ若いです。圧倒的にこれからの人生の方が長い。
これから先の人生を幸せなものにする為にも、様々なところに行ったり、
本を読んだり、とにかく色んな経験を積んでいこうと思います。
出来たらワーホリしたい。。